
いいことと、悪いこと。
紙一重なこともあると思う。
自分の当直先の病院で先週の夜あったこと。
当直室からトイレに行って戻る際、あるおじいちゃんがベッドで何かをしゃべってた。部屋に寄って「どうしたの?」って聞くと、なんと声だけ聞いて「○○先生?」ってわかってくれた。それから30分くらいかなぁ?ベッドサイドで話を聞いてた。「今まで見なかった戦争の夢を最近見る」、「戦争は絶対にやっちゃダメ」って何かに怯えてるみたいな感じで話してた。
だから、話を逸らそうとした訳じゃないけど、なんとなくこれまでやってきた仕事の話だとか、いろいろ聞いた。今回だけじゃなくこれまでも休日当直の時や、病院に早く着いた時には相撲とか一緒にTVで見てたようなおじいちゃん(※本当は患者さんって書かなくちゃいけないかもしれないけど、それより"おじいちゃん"の方がしっくりくるからそう表現します)。
・・・なのに昨日、病院に行ったら亡くなってた。というか、自分が着く直前に亡くなってた。
病院に着いたとき、葬儀屋さんの車が止まってたから「えっ、亡くなったの誰?」って病棟に確認したら・・・そのおじいちゃんだった。
なんかね、もう今までになくショックで。
結局、何もしてあげられなかった。主治医ではないけど、主治医より一生懸命診てきた自負がある。だからかな?家族に事情を話してお線香をあげさせてもらった。そして、先週の夜の話など、これまでにあったいろんなことについて奥さん、息子さん娘さんにお話しした。
家族ももちろん悲しかったと思うけど、自分も悲しかった。ホントに悲しかった。
あの病院でできることはやれたと思う。というか、それ以上はおそらく本人も家族も(自分も)望んでなかったから、結果だけならこれで良かったのかもしれない。そこは時間が経てばこれで良かったのかも・・・って思える時がくるのかもしれない。
でも、悔しい。その思いが今まで以上に強い。葬儀屋さんが来てお送りする時、娘さんと一緒に泣いてしまった。こんなこと、この病院で働くようになって初めてだった。これまでそのおじいちゃんと過ごしてきた時間はそのくらいいい思い出だったんだね、自分にとって。
結局、人って一期一会。いつ、何があるかわからない。どんな人が相手であれ、後悔しないよう元気なうちに話したり、必要があればお世話したりってやっておきたい・・・と改めて思うエピソードだった。
・・・MXR-01の事も書こうかと思ったけど、今日はそんな気分になれないからこれだけにする。
もうすぐ自分の祖父の1周忌。それとも重なっちゃったのかもね。
命に関わるお仕事の大変さが伝わってきます。
患者さんに寄り添える医療って大切ですよね。
とても信頼されていたのでしょうね。
今の当直先、表現するにはちょっと難しいんですけど、経済的にも医療資源的にも医学的にあまりアグレッシブなことはできないので、コストを掛けず、かつある程度のニーズはある(と思われる)話し相手には極力なっているツモリです。自分は延命をしないことに対しては本人や家族が同意しているのであれば賛成なのですが、やっぱり看取る時にはつらいものもあります。。。
難しい問題ですね。
医療に関わっている中ではかなりソフトなところなのであまり偉そうなことは言えませんが、医療って命を永らえさせることだけが目的じゃないと思うんですよ。もちろん生きてなくちゃ元も子もないっていうのも事実だと思うんですけど、延命しない医療もアリだと個人的には思います。そこには難しい問題もいろいろあるんでしょうけど・・・
そうですね。ただ、今のご時世、変に診断が付いてしまうので老衰って診断にしづらいって言うのもあるんじゃないでしょうか。老衰だろうと思う方に違う診断名が付いてたり、その逆もあったり。その辺はジレンマを感じるところではありますが。
そうですね。生物は生まれた時点で余命xx年ですよね。その最後をどう受け入れるのか、本人と家族でも物の見方は違うしいろいろ難しい面もあります。ただエルさんが書かれた「今いるところで、必死に一生懸命に生きていく」…これはステキな言葉ですね。