2012年12月21日

retirement from racing...

今日は特に更新するつもり、なかったんですがついに・・・というニュースがあったので。


アレジ、引退。


思えば、自分がF1をTVで見はじめて、一番感動させられたのがこの人のレースだったような気がします。F1時代、個人的に一番好きだったレースが1992年スペインGPです。大雨の中のレースだったんですがアレジはスタートで少しヒットしながらも3位に躍り出て、あの歴史に残るカッコよさ、でも、歴史に残る遅さのF92Aを限界までコントロールし3位フィニッシュ。その間に当時ロータスに乗っていたハッキネンとは何度も接触、スピンしでも、車を止めることなくそのままスピンターンして戻っていく姿、今でも強烈に頭の中に残っています。

その後も初優勝の1995年のカナダではその後結婚することになる「クミコ」こと後藤久美子のレース後インタビュー、「やったね!」と川井ちゃんが声を掛けると「やったね!」と返したセリフ、あれも忘れられない。あれ、アレジのバースデーウィンだったしね。

んー、シューマッハと接触しながら争った1992年モナコ、1995年雨の鈴鹿、予選ではベルガーと同士討ちしそうになったものの決勝では表彰台GETの1993年イタリア、スタートで一気にトップに立って2年ぶりにフェラーリのトップランを見せた1993年ポルトガル、勝って当然とすら思った1994年イタリア、心の中で勝てなかった中でも一番勝ちに近かったレースだと思ってる1991年ベルギー・・・

1996年のベネトンまでは勝ちを狙える体制でしたが、1997年のB197からは優勝には絡めず。

その後、1998年にはザウバーに移籍。モナコ予選でぎりぎりまで攻めたあの走り、それにここも雨の予選で見事フロントローGETのオーストリアA1リンク。フィジコに突っ込まれたときにはものすごく複雑に思ったっけ。

2001年プロスト時代はカナダでポイントGETした際、今まであまりやったドライバーはいないと思われる「かぶってたヘルメットを(プレゼントとして)観客席に投げ込む」すごいパフォーマンス(笑) スピンターンもカッコよかったなぁ。シーズン終盤にはジョーダンに移籍。アメリカGPでF1通産200戦目をスペシャルカラーのマシンで戦い、F1最後のレースとなった鈴鹿では1stプラクティスでトップタイム!このレースは自分も鈴鹿にいましたがすごい迫力でした。でも、例によって運の悪さは続いており決勝ではオープニングラップでライコネンの単独スピンに巻き込まれ自分のいたスタンド(シケイン)に来る前に姿を消しました・・・

来年とか、またルマンに出てこないかあぁと思っていたんですが・・・今年の切なすぎるINDY500で気持ちが途絶えちゃったかな。でも、こうして身体に大きなダメージがないまま自分で選んで「引退」を決めれたこと、それが自分には嬉しかった。不遇な時が大きかったドライバーだけど、本当に魅力的な"レーサー"だったと思います。


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さて、塗った後さっそくデカールも貼っています。

P1020581.JPG

デカール自体はかなり劣化が進んでいたのでリキッドデカールフィルムが欠かせない状態に。


P1020590.JPG


コクピット後ろの黒い部分は塗装で仕上げています。マスキングはそれなりに大変だけどモールドで白&黒の境界線が掘ってあるのでやりやすかったです。


P1020595.JPG


リアウィングも塗装で仕上げています。全体をファンデーションホワイトで塗った後、翼端板をマスキングして全体をピュアブラックで塗装しています。そこにデカール。翼端板のESSOのデカール(※ここに写ってるやつ)がバリバリに割れちゃって大変でしたが、なんとかここまでリカバーしました。

年末ですね。いつもは楽しみなこの時期が今年は憂鬱。

最近、どうもいろいろと不調です。
posted by Yoshitaka at 23:25| Comment(6) | TrackBack(0) | PROVENCE 1/43 PEUGEOT 905 G.P.MEXICO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ご無沙汰してます。
905はいつも順調に製作されますね。やはり好きこそなればでしょうか?
ウインドーをどうされるか、ちょっと心配であります。
アレジと言えば、やはりデビューした年の元気の良さが印象に残ってます。いずれはトップを争うドライバーになると期待してましたがセナ・シュー時代に不運な巡り合せで勝てるチームに縁がなかった残念なレーサーでしたね。ただ、そんな不運を感じさせない明るい人柄で、みんなに愛されたドライバーだったと思います。今後も別の形で活躍してくれることを期待します。
Posted by おひつじ@tak at 2012年12月22日 18:16
アレジは日本人にも愛されたドライバーでしたよね。不運だったから、日本人にも人気があったのかも。 久々にTV(F1の表彰台のプレゼンターだったかな)で見たときに懐かしいのと、体型の変化にはびっくりでしたけど(笑)
Posted by けん坊 at 2012年12月23日 09:48
アレジはフェラーリもベネトンもどん底の時に移っちゃったもんねぇ・・・。彼の白眉はやっぱデビューレースかな、私的には。
Posted by ワタナベ at 2012年12月24日 11:24
☆ おひつじ@takさん

アレジ、direxivの辺りから怪しい仕事が増えていたので嫌だったんですよね。ロータスにも『やられた』感じですし。おかげでDTMでも型落ちもいいところ…数年落ちの車に乗せられることになって…極めつけが今年のインディ500でした。
でも、ルマンでは『ドライバーとして』会ってみたかったです。

プジョー905、ポルシェ962ほどではないでしょうけど、いろんなバリエーションがあるから面白い‥面白いからいろんなのを作っちゃう‥というところなんだと思います。クルマの形自体も違う上、キットの個性もあるので…。

あ、そうそう。
以前、おひつじ@takさんがネタにされていたエレールのシトロエンDS3のデカールですが、うちのは版がズレまくってるダメなものでした。残念。。。
Posted by Yoshitaka at 2012年12月25日 19:12
☆ けん坊さん

なんかそうだったようですね(←F1見てないw)
まあ、インディ好きなので上手く表現できませんがアレジほどのキャリアのあるドライバーが経験もないのにいきなりオーバル、それもインディ500に出ると発表されたとき、『止めてくれ!』と思ったわけですが(笑)

ボクも幸薄いドライバー、好きなので典型的な日本人ファンかもしれませんね。
Posted by Yoshitaka at 2012年12月25日 19:21
☆ ワタナベさん

確かに移籍のタイミング、そもそもデビューしたタイミングなどすべてが噛み合わないドライバーでしたね。不思議なことにこの頃のレースって結果はもちろん大事でしたが、ドライバーが頑張ったことに対する評価が今よりもっと大きいものだったように思います。アレジが株を上げたレースの中に優勝したレースが入ってないのが面白いところですよね。
Posted by Yoshitaka at 2012年12月25日 19:27
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